自己愛とは何か:人は自分を愛することをどのようなことだと捉え、考えているかの調査

自己愛とは何か:人は自分を愛することをどのようなことだと捉え、考えているかの調査
                                 高田郁子


Ⅰ. はじめに

私自身、愛というものがわからなくて悩み苦しんだ過去がある。それは、自分を愛することもわからないまま、うまく人を愛せなくて苦しんだというものだ。目の前の人に仕事などを通し、働きかけたり奉仕をした りする際、戸惑いや怒りがどうしても出てしまった。現在は、自分を本当の意味で愛することや、無条件に 愛することができるようになりつつあり、ようやく、周りの人を愛することを厭わなくなった。そして困難 を感じるどころか、幸せや、喜びを感じられるようになった。これらから、自分を愛することが他者や物を 愛することに、とても影響をしていると感じた。


一般的に愛することを考える時、多くの人はまず、他者や外側の世界を愛する傾向にあり、他者や何かによ って愛される自分になることが大切であると考えているように思われる。しかし私は、自らの経験からその人の中で愛が深まり育まれると愛の質が変化をすると思う。ゆえに、より無条件に愛することができる人になるには、まず自分を愛することから始まると考える。そして、自分を愛することから、人は愛し愛される 世界を造りだすことができるのではないだろうかと考える。なぜなら自分を愛する時、同時に自分の写絵である目の前の人の弱さに共感、受容し、思いやりを持って関わることができると思うからだ。また、人は自分の過程から愛を持って、幸せや平和に向けて、一生懸命に考え積極的に関わるようになるのだと思う。このように愛について考えた経緯があり、他者はどのように愛を捉え、どのようなことだと思っているのかを 知りたいと考える。



Ⅱ. 先行研究

中村晃(2004)によると自己愛に関してはさまざまな理論や立場があり、自己愛の定義の問題、自己愛の健康性の問題、自己愛のタイプの問題について、研究者により異なる見解が示されているという。そのため、自己愛という言葉自体が二つの意味を持ち、健全な自己愛と不健全な自己愛の両方を意味するものになっているという。しかし、自己愛とはnarcissismの日本語訳であるが、フロム(1956)の提案でself-loveという言葉を用い、自分を愛することができる人が(seif-love)他者を愛することができ、その意味で自己愛(self-love)は重要なものであると述べていることから、「自己愛」という用語の定義のあいまいさを排除するため、健康的な真の自分に対する肯定感、基本的信頼感のようなものを健全な自己愛(self-love)と定義をし、自己愛性人格障害に見られるような自己愛を不健全な自己愛(narcissism)と分けると、議論の混乱を避けることができるという。​​​​*1 私自身、当初この自己愛の意味が充分に理解できず、一般に自己愛について書かれているものの多くは自己愛性人格障害など歪んだ自己愛がもたらす問題についてのものがほとんどであったため、この自己愛という言葉は良くない意味を表す言葉なのだと捉えていた。また一般的にも、自己愛とは自分のことをだけを愛し、他者を省みることがないようなわがままなイメージがあると捉えていた。これについてエーリッヒ・フロム(1956)は、他人を愛することは美徳だが、自分を愛すのは罪だという考え方が広く浸透しており、自己愛は利己主義と同じであるという考え方が西洋思想には古くからあるという。*2 そのためか、多くの人が自分を愛することに抵抗感を感じ、近年どんなに自分を愛することが大切だと言われても抵抗や疑問を感じては、できないでいる人が多いようだと感じていた。しかしフロム(1956)はまた、この自己愛が悪いものだとすれば、自己犠牲は美徳であるという考えに疑問を呈し、現代人の利己主義は自己愛と同じものではなく、自己愛が欠如しているために利己主義になっているのではないかと述べた。そして他人に対する愛と自分への愛が両立しないという考えは論理的に間違っており、聖書に述べられている「汝のごとく、汝の隣人を愛せ」という考えの裏にあるのは、自分の個性を尊重し、自分を愛し、理解することと他人を尊重し、愛し、理解することは切り離せないものだという考え方であり、その態度は矛盾をするものではなく、結びついていると述べている。そのうえ、原則として「対象」と自分は繋がっているために、他者への愛と自己愛を分割することはできない。これが「分業」となれば根本的に愛することができないことのあらわれであると述べた。*2 それでは、自己愛とは本来どのようなものなのであり、人は自分を愛することをどのように捉え、考えているかを調査した。



Ⅲ. 研究方法

定性的研究にて30代から50代の女性3名に1時間30分のインタビューを実施し、その結果から、グラウンデッドセオリーを使い、カテゴリー別にコーディングをして分析をした。

研究参加者は以下の3名である。

Aさん 30代 女性 現在リーブスコースでヒーリングについて学んでいる。

Bさん 40代 女性 パートタイムで仕事をしながら子育てをしている。

Cさん 50代 女性 フルタイムで仕事をしながら子育てをしている。



Ⅳ. 結果


1. 愛についての認識 

(1)人はどのような時に愛について考えるか。


Aさん

愛について答えを出したり、体系的にしたことはないが漠然と気にかけては考えている。

Bさん

子育てを始めとし、日常におけるあらゆる場面やパターンにおいて。また内省をするときに愛について考える。

Cさん

自由と愛のバランスをどう取るべきか悩む時に愛について考える。特に人をコントロールしてしまう時や、自分の心に向き合わず、自分自身をコントロールしてしまう時。他者の自由の尊重や、自分の心の解放について考える時。その他あらゆる場面で感じ、考える機会がある。



(2) 人は愛をどのようなものだと捉えているか。


Aさん

愛とは、人や物、状況など、ありとあらゆる全てのあるがままを受け入れるものである。それは例え異なる意見や状態であっても、そのありのままを受け入れ、調和をしている状態が愛だと思う。

Bさん

愛とは自分や物、またその周辺が生まれてから死ぬまで、そして死んだ後にもずっと共にあり流れているもの。そしてそれを成り立たせているもの。そのもの自身であると思う。

例えば、目の前に机が存在をしているということが愛であると思う。身体の中を血が流れている、肺で空気を変換するなどのそういった働きもまた全てが愛だと思っている。

Cさん

愛とは、調和や心の平安。存在するものを全て良しとし認めるもの。それは例えどんなに悪い人や悪いもの、悪い状態であったとしても、それが存在をするということをただ認めることだと思う。



2. 自分を愛することについての認識

(1)人はどのような時に自分を愛することについて考えるか。


Aさん

リーブスコースの課題を書く過程で、自分を愛することとはどのようなことかと考える。

自分を愛することは癒しに深く関わっていると思う。

Bさん

日頃暮らし辛さや違和感、不快感を感じる時にその理由を考える。また、ポジティブな状況の時にも自分が心地良さ、嬉しさを感じる理由や背景について考える。

Cさん

自分が無理をし過ぎて体に症状が出た時。自分の使命と身体の限界、思考と心の限界を感じる時や、それらのバランスをとるのが難しいと感じる時に自分を大切にするとはどのようなことかと考える。



(2)自分を愛することとはどのようなことだと捉えているか。


Aさん

自分を愛することとは、自分のことを理解することであるという定義を持っている。それは自分のあるがままの感情や感覚をそのまま受け止めて大切にすること。そして、その自分の感情や感覚、また考えを理解をして行動することだと思っている。

Bさん

自分を愛することとは、自分自身に対して暖かな姿勢を持つことだと思っている。それは自分自身に対して暖かな支援や励ましをすること。つまり、具体的に相談にのったり、必要なことを教えるなど、自分に対して行動をすることだと思う。特には自分自身に対して、広範囲なケアをすることが大切であると考えている。それは肉体的、精神的なケアから始まり、肯定的、受容的に自分と対話をし物事を判断すること。これらのことを他人かしてもらおうとすると、あまりにも効率が悪いと思うため、自分でしてあげることが必要だと思っている。またこれらのケアというのは子供が育っていく過程を順々に追うかのように自分自身が実際に親からして欲しかったことを、自分で自分にやってあげるというものだ。それというのも愛情は土台であり、人としての土台になりうるものである。この土台は実際にセルフイメージに直結しており、この土台がしっかりしていると外の世界に対して貢献をするなどのチャレンジをする意欲が湧いてくるのだと思う。その際に、自己愛があるうえでの社会活動と、自己愛がないうえでの社会活動では本人の快適さに違いがあるであろうと思っている。

Cさん

自分を愛することとは、自分の才能や独自性を活かすということ。つまり自分が預かった才能などを開き、開花させることだと思っている。これについてはある程度頑張る必要があると思うが、無理をするのはよくないことだと思っている。



(3)自分を愛することへの抵抗の有無とその実情


Aさん

自分を愛することへの抵抗として、義務感だったり、一般的にこうするべきであるという考え方が、潜在意識に根深くあるのを感じている。同時にそれは心地よくないものだと感じてもいる。特には、自分のために行動を起こすのが遅いというのを自覚しており、おそらくこれは両親の教育からきているもので、何かしなければいけないこと、義務であることをまずは探してしまう習慣があり、それがフィルターになっていると思う。

Bさん

シンプルにただ自分を愛することに対して、何かしらごちゃごちゃと邪魔をする物があると感じている。この抵抗感というのは、自分の手が届かないところにあり、表に現れていないものであると捉えている。それは感じることが難しく、自分の視界にもないもの。自分ではどうすることもできず、認識し扱うためには人の助けが必要なものだと思っている。そして、この原因となるものは生育環境や、自分に対する捉え方や付き合い方など、ありとあらゆるものが積み重なりできたものだと思っている。この原因により自分を愛そうとするも抵抗を感じてできないでいる。また、自分を愛することは、子供を可愛がることよりも難しいと感じている。それというのも、子供に対しては客観的に捉えることができるが、自分のこととなると難しいのでこのように感じている。

Cさん

以前は、自分を愛することに対しての抵抗感が非常に高かったと自覚している。特に子供に対しての罪悪感があり、それが自分を愛することへの抵抗になっている。どんな自分も自分であることを認識し、どんな自分であっても受け入れたいとは思っているが、困難を感じてはできないでいる。



3. 人は自分を愛することがどのような影響をもたらすと捉えているか。

(1)自分への影響


Aさん

自分を愛することができたとき、変化は起こるであろうと思う。その一方で、自分を愛するということがこの世の中にあり得るのであるかという驚きがある。それでも、自分を愛することができた時には、草原に座って日向ぼっこをしているようにぼーっとして、ポカポカして幸せそうなイメージがある。そして実際に、色々なことに対して自分の中の抵抗が減り許可ができる状態になると思う。そのため行動力が増し、実現のために動けるようになると思う。また、他者に対しては細かいことが気にならなくなり、ありのままのその人を認めることができるようになり、いさかいもなく、ただ愛することが自然とできるようになると思う。そして、自分が自分の興味に向かい行動できるようになるので、他者に対する期待が捨てられ、自分と同じ様に他者に対してもありのままで、その人らしくあることを許可できるようになると思う。

Bさん

自分を愛することができたとき、自分自身への変化として、今に比べて楽であり、楽しく快適になり、心地よくなると思う。そして、自分に対する無駄遣いが減り、普段頭を占めていた自分への否定や、葛藤や悩みが減ることにより、その結果として、新しいことや楽しいことをしようという意欲が沸き、何かを生み出すようになると思う。特に自分に対しては愛するという行為である励ます、喜ぶ、褒める、許す、肯定するといったことができるようになる。これにより、人として一人前になると思っている。また自分に対してしていることや、出来ていることが、外側に対してもできるようになり影響を与え、同様なものが生み出されていくであろうと思う。そして、例えば文章を書く、話す、運転をするなどの日常的な動作や活動にも影響を与え、ベースにあるものが変わることにより、その動作や活動によりもたらされるものが全て変わるだろうと思う。つまり、自分を愛することにより、自分のベースを確立することができると思う。また、自分を愛することで自分のデフォルトが変わるため、生み出される世界が変化をすると思う。自分が見ている世界も変わるし、自分の行動や、影響力も変わる。周囲に影響を与えながらも、相互作用を生み出していくと思う。つまり、自分のことをただシンプルに愛する時、その愛をそのまま外の世界にも広げていくことができると思う。

Cさん

自分を愛することができたとき、自分自身への変化として、常にもっと何かをしなければと焦っているところがあるため、ゆっくりと落ち着くことでより自分自身に近づくことができると思う。また、意識レベルや視点が上がると思う。視点が上がることにより、感じる部分や捉えるところが変わり、視野が大きくなると思う。そのうえ、自分が扱えるエネルギーが大きくなり、人を癒す能力も増すと思う。そして、人や物事の本質を見抜くことができるようになり、その人の本質にあったサポートやアプローチを言葉だけでなく、エネルギーでもできるようになると思う。



(2)自分の人生への影響


Aさん

自分を愛することにより、自分の興味や関心に100パーセント許可ができる状態になるため、自分らしい人生が始まると思う。それというのも、自分を愛していないと本来の自分とのズレが生じては、つい自分の興味がないことをしがちになるが、自分を愛することにより、自分の興味関心に沿って生きることができるようになると思う。

Bさん

自分が何かしらのズレを感じていて、自分にとって正しい在り方ではないと感じているからこそ、自分のことを愛そうという試みをしているので、自分を愛することにより、より満たされて、自分らしくなることができ、自分に対する一致感を感じられるようになると思う。そして、自分を操縦しながら自分の人生が自分により一致をするよう選択し、覚え直しをすることで、その自分の在り方を肯定的に捉えることができるようになると思う。

Cさん

側から見ると、自分の姿というのは変化のないように見えると思うが、自分の中での満足度が大きくなると思う。そして、人生の質が変わると思う。自分のやりたいことができ、達成したことを自覚できるようになると思う。



(3)他者への影響


Aさん

今、自分のそばにいる人も、これから引き寄せられて出会う人も、自分の状態に似た人だったり、落ち着きや優しさのある人になると思う。

Bさん

周りにいる人が自分から受け取るものが変わり、相手の中からも同様な質(愛)が引き出されるようになると思う。自分が周囲の人へ影響を与えながら、その人が本来持っているその人ならではのものを引き出すようになると思う。

Cさん

自分から発せられる言葉や行動などの影響力があがり、他者にとってその言葉や行動が受け取りやすく肯定的な物になっていくと思う。それは例えば、褒めるなどといった相手にとって有益なことだけでなく、普段の何気ない会話においても私から発せられる言葉の持つ波動が変わることにより、相手の取り方が変わると思う。



4. インタビューの最後にどのように思うか


Aさん

自分を愛することとは、自分を許し、自分自身を活かし始めるきっかけであると思う。

それというのも自分を愛するときには、自分の興味や関心があることに打ち込むようになるため、より聖なる興味や関心を追求することができると思う。その状態というのは自分にとってもストレスなく、パワフルであり、気持ち良く、自然な状態であると思う。またその自分を活かしている状態というのは、自分の取り扱いが充分に出来ており、自分本来の道を進んでいる状態であると思う。

Bさん

自分を愛することとは本来簡単なことのように感じるが、実際に自分の内側と対話をしていると全然できていないことに気がつく。それでも、気にかけるようにしており、自分のことを愛そうと努力をしている。そのため10年、20年前と比べると随分とできるようになっていると自覚している。そしてその効果として、心地よさを実感しているため今後も継続をして行きたいと思っている。

Cさん

これからも、自分を愛することを大切にして生きて行こうと思っている。もちろん、常にそれを意識できるかわからないけれども、目標にして生きていくであろうと思う。そして自分を愛することというのは、私たちにとって一番大切なことであり、物事の根本であると思っている。この自分を愛するということは、決して利己的でわがままになることではない。そもそも自分を認めることができないことにより、他者をコントロールすることへと発展していくのだと思っている。そのため、自分を愛するということが全ての根本となるのではないかと思う。また自分を愛することを通して、私たちは自分と同類の要素を持っている他者や、必ずしも自分と同じ境遇ではなくとも、その人の中に何かしらの不自由さがあると知った時、その事実を客観的に感じては、その人の中にある現実や現状をも愛することができるのだと思っている。



Ⅴ. 考察

私は当初、自分のことを無条件に愛することにより、投影から他者の中にある自分と同様にある質を認め受容し、愛することができるようになるのだと考えていた。しかしこの調査から、自分のことを本当の意味で愛することができるようになると、自分のあるがままの感情や感覚をそのままに受け止めて大切にし、自分のために行動できるようになる。特に自分の興味関心に従い行動をするようになり、この結果として、より自分らしく活動的になるだけでなく、自分のことをより肯定的に捉えることができるようになる。そして、他人に対しても同様に期待をしたり、コントロールをすることなく、その人のありのままを認め愛することができるようになる。また、自分の存在のあり様や影響力から、相手の中からも同様にその人らしさや愛を引き出し、相互に良い影響を与え存在するようになる。そのうえ、現在自分と関わっている人も、これから出会う人々も自分と同じような人になると思うというリサーチ結果。さらにはフロム(1956)による、原則として「対象」と自分は繋がっているために、他者への愛と自己愛を分割することはできない。これが「分業」となれば根本的に愛することができないことのあらわれである。*2という考えからも、本来私たちというのは、目で見える範囲において肉体は常に分離し、個を形成しているが、そのエネルギーは常に他者や外界と繋がり、相互に影響を与えながら一つとなり存在をしている。そのため、自分を愛することとは、自分を愛する、他者を愛するなどといった区別や判断からこの世界の一部分を都合よく切り取り、その一部分だけを愛するのではなく、自分を始めとするこの世界の全てが一つであり、自分であると認識し、その全てを無条件に愛するということであると私は考える。


また調査から、愛とは人やもの、状況などの全てが存在をすることであり、そのもの自身である。そして何かを生かし、支えるものがあるとするならばそれらも愛、さらにいえば全てが愛である。この愛は生命が終わった後にもずっと働き続けるもの。そしてそれは例え、私たちや誰か個人にとって都合が悪く、肯定できない状況や人、ものでさえ、あらゆるものがこの世界に存在をするということ、つまり認められ受容されていることが愛である。そして愛とは調和をもたらすもの。常に調和に向かって働きかけるものであり、その調和がもたらすものは心の平安や平和であるという結果。またBさんによる、自分を愛することで、自分のデフォルトが変わるため、生み出される世界が変化をする。自分が見ている世界も変わるし、自分の行動や、影響力も変わる。周囲に影響を与えながらも、相互作用を生み出していく。つまり、自分のことをただシンプルに愛する時、その愛をそのまま外の世界にも広げていくことができる。という考えからも、愛というものがこの世界の全てにおいて存在をし、調和に向かって働きかけているように、まずは自分を愛することを起点とし、自分が自分と調和をし、自分と他者、そしてこの世界の全てを一つであると捉え、その全体を無条件に愛するとき、自分の中の愛が育まれ質がよりよく変化をし、その愛が自然と広がるだけでなく、全体が愛の状態、つまり調和をするようより働きかけることが出来るのだとわかった。


そして、自分を愛することとはこの調査から、日常の些細な欲求を満たし、ケアすることの延長から、自分の中の感情や感覚に従い自分を生き、興味関心を追求することに繋がる。これにより自分を活かすことができる。この状態というのは、ストレスなどなく自然な状態であるだけでなく、パワフルである。また、この自分を愛することとは物事の根本であると思う。さらにはBさんによる、自分を愛することとは、自分自身に対して暖かな姿勢を持つこと。それは自分自身に対する暖かな支援や励ましをすること。具体的に相談にのったり、必要なことを教えるなど、自分に対して行動をすることだ。特に自分自身に対して、広範囲なケアをすることが大切である。それは肉体的、精神的なケアから始まり、肯定的、受容的に自分と対話をし物事を判断すること。これらを他人にしてもらおうとすると効率が悪いため、自分でしてあげることが必要であり大切だ。そしてこの自分を愛することにより、人は自分のベースを確立することができる。という考え方からも、より自分らしい自分を生きることができるだけでなく、この自分を愛するという行為というのは、経験や状況によりそれぞれの中にたとえ抵抗があったとしても、この世界において唯一自分こそが生まれた時から亡くなるまで、常に責任を取ることができる行為であると思う。それというのも、他人や外界というのはその人やものごとの意志や都合により常に変化をし、存在をするものだ。しかし、自分という存在がどのようであるかは、自分自身のみが常に感じ、観察しながら直接関わることができるものであり、その存在の方向性は自分の意志や意欲に託されているものだからである。



Ⅵ. 結論

自分を愛すること、つまり自己愛とはまずは自分自身が自分という存在の在り方や人生に常に責任を持ち、そのよろこびや豊かさの追求をすることをはじめとし、自分と繋がる他者や外界など、この世界の全てが一つであり自分自身であると捉え、無条件に愛することだと言える。これにより私たちは自らの愛を育みその質を変え、愛し愛される世界を造りだすことができるのだ。しかし、この研究では自分を愛することについて以上の観点から質問をし調査を行ったが、愛というものは状況や捉える側面などによっても人それぞれの観点や考えがあるため、この考察がすべての人にとって有意義であり、必ずしもあてはまるものではないため議論の余地がある。



参考文献

1 中村晃. 健全な自己愛と不健全な自己愛. 千葉商科大学心理学, 2004, p.0001-0018.

2 エーリッヒ・フロム. 愛するということ: 東京, 紀伊國屋書店, 1956, 2341p.

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